二人の老人

仕事を子に託し巡礼に向かう二人の老人。

 

一人は自分しか信じない。

 

周囲には目もくれず、

 

巡礼地に辿り着く。

 

もう一人は善良で快活。

 

貧乏と病気に悩む人を救うために手持ちのお金を使い果たし、巡礼を諦める。

 

これは、トルストイの『二老人』の話だ。

 

どちらが賞讃されるべきか。

 

物語の最後の場面では、

 

巡礼という形式にこだわるよりも、

 

身近な実践の中にこそ、

 

信仰の真髄があると前者の老人が悟る。

 

自分ではなく他者のために行動する。

 

そこに人生の真実の価値があると文豪は語っているようだ。

 

 

 

 

 

学習でも同じことが言えるのではないだろうか。

 

成績向上や合格への最短距離を進みたい気持ちはよく分かる。

 

実際に最短距離となるように、

 

授業の準備も入念にしている。

 

でも、自身の英知を磨くのは何のためなのだろうか。

 

自分のため?

 

誰かのため?

 

みんなのため?

 

地球のため?

 

 

 

 

 

学習してアタマを鍛えるのも大切だ。

 

でも、それだけでは不十分。

 

自分が学ぶことは

 

自分一人だけのためでなく

 

他者のためでもある。

 

そこに学問の神髄がある。

 

そこに人生の真実の価値がある。

 

子どもたちが

 

ひとりで巡礼地にたどり着く老人のような人には

 

なってほしくはない。

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