一問入魂
高校野球はトーナメントの性質上、
どんなに実力があっても、
試合に負ければ
そこでおしまい、
強豪校が思わぬところで敗退することもある。
10回戦って、9回は勝つ
そんな格下の相手に
たまたま本番で負けてしまう、
そんなことが起こりえる。
だから、球児たちは
「一球入魂」
その名の通り、1球1球に魂を込めて集中すること。
どんな強豪校だって
その試合に勝てるかどうかは
やってみなければわからない。
全力でやっていたけれども
1プレイだけ、ただ1プレイだけ
うっかりしてしまった
そして
そのプレイによって
試合に敗れてしまう
なんてことは起こりえるから。
テストや学習においても
同じことが言える。
言うならば
「一問入魂」
解けない気持ちで問題に臨んだって
解けるものすら解けなくなってしまう。
あきらめないでいると
降りてくるんだ。
ひらめきがね。
ただし、やったことのない問題のひらめきは
降りてくるはずがないけどね。
入試はパターンだからね。
逆に
過信していると
ミスに気がつくことができないことがある。
授業中に生徒たちが問題を解いているときに
見て回っていると、いろんなミスに出会う。
自分で気づいて修正してほしいときには、
「どこかにミスがあるよ」とだけ言う。
多くの生徒は探し出して訂正する。
そして、そういう生徒はその手のミスの出現率
がその後は低くなっていく。
頭を使った分かしこくなるのだ。
こういうのは一つ一つは大したことのないもの
だが、積もり積もれば非常に大きくなる。
だから、私もあえて「キミはこのページに3つ
ミスがあるよ亅
このぐらいの抽象的なヒントは出す。
でも、「ミスがあるよ」って言われただけでは
探し出せない子がいる。
いや、探し出さない子と言ったほうが正確だ。
分からないのは面倒くさがっているだけだろう。
一度解いた問題でしょって考えているから。
あとはどうせわからないからって考えているから。
そこには「一問入魂」の精神は微塵もない。
うちの塾では、
最初はこういうタイプの子が結構多い。
で、授業を受けているうちに修正されていく。
これが入塾前に陥っていた伸び悩みの要因だ。
その日の出来事を思い浮かべたりして、過去を意識したりすること
明日のこととか、未来を意識したりすること
学習中には、それらのような過去も未来も考えてはいけない。
目の前の一問、それだけに集中する。
一問解いたら、改めて一問入魂。
それが終われば、さらに一問入魂・・・・・
時間が経過し・・・・・・
もうやめよう
そう思うときがくる。
でも、そこではやめない。
そこからあと1問だけ。
それが終わればやめようって。
解き終わった!
でもやめない、本当にあと一問だけ。
これも日々の大事なトレーニング。
根っこの忍耐力をつける。
同じ先生、同じクラス、同じテキスト、
全部同じなのに、
成果が一人ひとり違うのは
「一問入魂」の精神と「根っこの忍耐力」を鍛えているか
これの違い。
断言しよう。