フランスで学んだ青年
幕末・維新のころは、日本史上まれにみる激動期であった。
血気にはやり、いかにあまたの若者が命を散らしたことか。
しかし、他方、はるか離れたフランスの地で勉学に励む27歳の青年もいた。
後に“日本資本主義の父”と呼ばれた渋沢栄一である。
パリ万博参加の一行に加わり、渡仏。
同輩が祖国の激震に浮足立つなか
栄一は「専心修学」に徹した。
近代国家形成の基礎となる政治・経済・法学などを学びに学んだ。
欧州滞在は維新前後の2年に及ぶ。
「向後(=これから)外国の学問がますます必用(=必要)になって来るに相違ない」
「禍乱を避けてその間に学問の修業が出来るというもので、実に天来の僥倖」
と後に彼は語っている。
心血を注いでの刻苦勉励の日々は
やがて日本社会を支える「民業」育成への大きな力となった。
この夏、勉学に挑みたい。
未来のために。