パッション
漫画家・手塚治虫氏は、5歳から24歳までの間、兵庫県宝塚市で暮らした。
小学生の時の趣味は昆虫採集で、
ペンネームの「治虫」は、甲虫の「オサムシ」が由来という。
本名は手塚治で、読み方は同じだが、虫がついていない。
巨匠の名は、宝塚の豊かな自然から生まれたのだ。
この時期の経験は、氏の作品に深い影響を与えている。
最も大きな出来事が、戦争の体験。
氏は漫画の表現形式をたびたび変えたことから、
自身を「転向者」と自嘲していたが、
「これだけは断じて殺されても翻せない」と語ったのが、
戦争反対の信念だった。
漫画のテーマに「生命の尊厳」を一貫して掲げ、
膨大な作品群を残した。
死去の直前には、
病床にありながらも「頼むから仕事をさせてくれ」と懇願した。
最期まで描くことへの情熱の炎が消えることはなかった。
「情熱」を意味する英語の「パッション」は、
ラテン語の「苦しむ」が語源という。
一つの物事を成し遂げる人間は、
いかなる試練にも屈することなく、
心を燃やして自ら決めた道を歩み抜く。
誰に何を言われようと、決してとどまることはない。
あなたの心の中には、消えることなき情熱の炎があるだろうか。