バター②
昨日書いたバターを作る実験から2つの大切なことを学ぶことができた。
まずは、聞いただけとか読んだだけの知識では正確さにかけてしまうことがあるということ。
全てに裏付けをとる必要はないし、それは不可能だが、せめて少しぐらいは調べてみようということだ。
「バターは牛乳でできている」と普通に言っているのだが、
実際は私たちが普段飲んでいる普通の牛乳ではバターが作れなかったのだ。
乳脂肪分の大きさがバラバラなノンホモジナイズドの牛乳(ノンホモ牛乳)
をかき混ぜて撹拌することでバターは出来上がるのだ。
だからこの文は不正確な文なのだ。
正確に言うならば
「バターはノンホモ牛乳を攪拌することによってできる」なのだ。
私が知っていたのは、不確かで幼稚なレベルの事項だったのだ。
このこと以外でも、当り前と決めつけている事項を
アップグレードしていかなければいけないのだと気づいた。
あともう一つ。
あるイソップ寓話の解釈を変えたこと。
2匹のカエルと言う話をご存じだろうか。
こんな話だ。
「2匹のカエルがミルクの入った壺のふちのところで
飛び跳ねていました。突然、ミルク壺に落ちてしまいました。
1匹のカエルは、ああもう駄目だ、と叫んで諦めてしまいました。
そしてガーガーと泣いて何もしないでじっとしているうちに
結局溺れて死んでしまいました。
もう1匹のカエルも同じように落ちたのですが、
なんとかしようと思ってもがいて足を蹴って一生懸命泳ぎました。
すると足の下が固まりました。
ミルクがバターになったのです。
それでピョンとその上に乗って外に飛び出せました。」
この寓話の教訓は、
起きてしまった出来事に対して、あまり深刻に受けとめず、
自信を持って、困難にも「自分なら出来る!」
と確信して挑むことの大切さだと思っていた。
しかし、ノンホモ牛乳を知った後では変わった。
もしかすると後者の助かったカエルは
自分の落ちた牛乳はノンホモ牛乳であることを知っていたのではないだろうか。
少し舐めてみれば、おいしい味ですぐに分かるだろうから。
そして、ノンホモ牛乳をかき混ぜ続ければ、
バターができることを知っていたのではないだろうか。
だから、実際に足で撹拌し続けて脱出することができたのだ。
知識は活用してこそ役に立つ。
頭の中の知識をほんの少しアップグレードするだけで
ものすごく活用できるものに変化するのだ。
つまり知は力なりということだ。
時には知識が命を救うこともあり得るのだ。
私は個人的にそういう解釈に変更することにした。
今回は非常に大事なことを学ぶことができて本当にラッキーだった。