ココロのアンテナ
米・公民権運動の指導者キング博士。その闘争の原点の一つは、高校時代にあった。
弁論大会で優秀な成績を収めた帰りのバス。
黒人というだけで、無理やり席を立たされた。
人生で最も屈辱を受けた瞬間だった。
不当な差別をなくしたい――そのために学び抜き、時代を変えていった。
キング博士から100年ほどさかのぼったドイツ。
トロイア戦争は実際にあった事に違いない。
トロイアの都は、今は地中に埋もれているのだ。
少年時代にいだいた夢と信念を実現するために、
シュリーマンは、まず財産作りに専念し、
ついで十数ヵ国語を身につける。
そして、当時は空想上の産物とされていたホメーロスの事跡を次々と発掘してゆく。
考古学史上、最も劇的な成功を遂げた男の原点は、
少年時代の読書にあった。
ふたりの偉人に共通しているものは何か。
それは、10代の体験が人生を決したということだ。
名著13歳のハローワークの村上龍氏はこう語っている。
『好きなことを「探す」という風に勘違いしやすいということです。
好きなことや自分が興味を持てる職業は、
探したからといって見つかるものじゃないと思うようになりました。
例えば、自分は宇宙のことが好きだな、お花が好きだな、物を書くのが好きだな、
人間のことを考えるのが好きだな気づいたあと、
好奇心を消さずに、世界に対してオープンになっていれば、「いつか出会う」というニュアンスじゃないかと。
お腹ぺこぺこの人が山に行けば、キノコを見つけて「これは食べられるかな」と考えるけど、
満腹で山に入ってもそういうことに興味は持たないし、
注意を払わない。
それと同じで、自分の興味の対象をぼんやりとでもいいから心のどこかで捉えていると、
テレビを見ていても、「あれ? なんかワクワクするけど、これって何?」と感じで、
出会うんですよ。
僕が例えば『半島を出よ』という作品を書くときは、
もう北朝鮮のことで頭がいっぱいで、
思いつくと、すぐメモします。
テレビでニュースを見ていてもメモするし、
新聞を読んでも、誰かが何か言っても、
インターネットを見てもメモする。
それは、僕がある種の情報に対して飢えているからです。
別に24時間探すわけじゃないですよ。
飯も食うし、小説も書く。
ただ、頭のどこか片隅に、
好奇心とミックスさせた何かに対する飢えがあるわけですよ。
そうすると、何かの拍子に反応するんですよね。
でも、それがない人は、
ひょっとしたら、その人にとって一生付き合っていける大事な仕事の芽かもしれないのに、
すれ違ってしまうかも知れない。
だから、興味の対象の発見は、
宝探しみたいに「探す」というニュアンスではないんです。
普通に生きているんですが、
学校に行ったり、スポーツしたり、友達と遊んだり。
そういういろんな人間や情報に触れていく中で、いつか出会うんです。
好きなことを「探しましょう」ではなくて、
「自分は何が好きか」を頭の片隅に置いて、
好奇心を失わず、日々を生きる。
それで、出会ったときに自分の中の受容体みたいなものが反応できるかどうかが問題なんです。
「自分には、ワクワクできる対象がきっとあるはずだ」と心のどこかで思っていないと出会っても気づかない。
だから、子どもに向かって「人生は苦労と我慢の連続だ」と言うのは、
好奇心を摘んでしまって、出会っても気づかない状態にしてしまうという大きなリスクがあるわけです。』
私は、よく生徒たちに、頭の上に「アンテナ」を立てなさいと言うが、
このアンテナが立っていなければ、
自分の志望校も天職も気づかないうちに、通り過ぎてしまう。
ココロのアンテナを立てよう。
そうすると、自分の頭の上を通り過ぎる様々な情報から
自分に必要なものがアンテナに引っかかってくるから。
将来を決するものもそうやって出会うのだ。