カタツムリのように
晴れたり、雨が降ったりで
暑かったり涼しかったりと気温の変化も大きい。
もうすぐ梅雨がやってきて、
それが終わるといよいよ夏だ。
先日、カタツムリを見た。
カタツムリは夏の季語。
【足元へいつ来(きた)りしよ蝸牛(かたつぶり)】
これは小林一茶の句。
病気の父のことが心配で、気が気ではなかった一茶。
具合がよくなってきて…… 心に余裕も出てきて、
ふと、気づくと、足元にかたつむりがいた。
「いつ来たんだい。」
「あんなに歩みがゆっくりなお前が近づいてきてたことも
全然気づかなかったよ」
そんな気持ちだったのだろうか。
文豪・幸田露伴は自分の家を「蝸牛庵(カタツムリの家)」と呼んだ。
身一つでどこへでも行くという意味で、何度も住まいを替えた。
最も長く居を構えた地は東京・墨田区。旧居跡は今、
カタツムリをかたどった遊具のある児童公園になっている。
露伴は幼少時代、病弱だった。
経済苦で学校を中退もしている。
それでも学びを止めず、読書に励み、漢詩や漢学にも親しんだ。
それこそ”カタツムリの歩み”のような努力を積み重ねてきたといえよう。
墨田で書き上げた『努力論』にこんなくだりがある。
「努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、
努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない」
ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」と言った。
理想が大きいほど目的地は遠く、道は険しい。
日々の歩みに歯がゆさを覚えることもあろう。
しかし当たり前だが、止まってしまえば絶対に前には行けない。
誰が見ていなくとも、
誰もほめてくれなくても、
すぐに成果があらわれなくても、
自らの努力の歩みを止めるまい。
カタツムリのようにゆっくりでも構わない。
止まらなければいい。
結果は後からついてくる。