人はとかく「花」に目が行きがちだ。

 

合格だって「サクラサク」と表現される。

 

一方、葉の裏や、茎の根元を注視することは多くない。

 

ましてや、目に見えない地中の根っこや、

 

事の始めの種に想像が及ぶことは、まれである。

 

 

 

「地面の下に根があって、

 

茎が出て、

 

それから花が咲くようなもので、

 

その花を文章にたとえれば、

 

根と茎の問題が片付かなくては、

 

花は存在できないわけである」

 

吉行淳之介氏の文章論だが、

 

学力向上も同じように考えるべきだ。

 

結果としての「花」だけを見ていてもだめなのだ。

 

花を支える茎がしっかりしていなければ

 

大輪の花は咲かない。

 

葉も同じだ。

 

根っこも忘れてはいけない。

 

開花時期が近づいてきて

 

そのときにはじめて花のことを気にしていても

 

時すでに遅しなのだ。

 

そして、すべての始まりは「種」にある。

 

寿司も新聞記事もネタが命などといわれる。

 

広辞苑には「ねた」とは“たね(種)を逆さ読みした隠語”との記述もある。

 

受験も「種」が命なのだ。

 

そこから受験が始まる種とは

 

きっかけであり

 

取り組みの始まりである。

 

そもそも種がなければ花も咲かない。

 

ダメな種だったら

 

発芽しない。

 

 

 

 

 

花ばかり気にしていると

 

葉っぱ、茎、根っこ

 

そして種のことを気にしなくなってしまう。

 

2学期に花がうまく咲かなかった人は

 

それらのことを考えてみよう。

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