楽しい

ある中3生徒の三者面談中のこと。

 

お母さんがこういった。

 

「ハイレベル英語の授業が楽しい楽しいっていつも言っています」

 

本人からそんなセリフは聞いたことがない。

 

でも、最近の授業中の様子を見ていると

 

授業中に確かに楽しそうな表情を見せることがある。

 

 

 

 

 

 

楽しく勉強しようと言う人がいる。

 

でも、実際は実力がないうちは無理だと私は思っている。

 

それがサッカーであれ、楽器であれ、英語の学習であれ、同じではないだろうか。

 

ある程度のレベルに達しないと面白さなんて分からないのではないだろうか。

 

たとえばボールを蹴っていても

 

思うようにいかないとつまらないだろう。

 

ピアノだって

 

何も演奏できないとつまらないだろう。

 

何事も、ある程度のレベルに達してはじめて楽しいって思えるものではないか。

 

そして、何事も、初期段階って苦しいものだ。

 

しかし、そのうち少しずつ楽になってくる。

 

楽しさも味わうことができるようになる。

 

そのことを知っていれば

 

「最初はきついから、しばらくは耐えよう」

 

と思えるだろう。

 

石の上にも三年とはよくいったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

定期テストの1ケ月ほど前から学習を始める人がいる。

 

うわべだけ丸暗記なんかしてテストに臨む。

 

本当の実力が1ヵ月では身につかない。

 

当然、学習の楽しさなんて味わうことができない。

 

だから、テストが終わったら学習も終了。

 

付け焼刃の知識は

 

すぐに頭から消えていってしまう。

 

まるで穴の開いたバケツみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

定期テストが終わった。

 

穴の開いたバケツでは

 

にわか知識がすぐに流出してしまう。

 

空っぽになってしまったバケツに

 

次回の学年末テストでも

 

同様に一時的な知識を貯めようとするのだろうか。

 

受験生になれば必ずわかる。

 

そんな穴の開いたバケツ勉強法では

 

結果があらわれないことを。

 

まれにそんな勉強法を直前期の今まで続けている受験生がいる。

 

定期テストの前には定期テストの勉強を

 

北辰テストの前には北辰テストのかこもんを

 

テストが終わればホッとして。

 

体系的な学習ではないから

 

学力が高まることは決してない。

 

自分が穴の開いたバケツってことに気付かずに

 

受験を終えてしまうとしたら・・・・・・

 

あまりにもかわいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

ダメな受験生にならないために

 

中学1年生、2年生には声を大にして言いたい。

 

いつ、勉強するのか。

 

テストが終わった、今なのだ。

 

テストで浮き彫りとなった弱点を克服する。

 

次のテストに向けて一歩踏み出す。

 

二歩踏み出す。

 

三歩踏み出す。

 

四歩踏み出す。

 

五歩踏み出す。

 

六歩・・・・・・・・。

 

そうしているうちに

 

以前よりも学習内容が分かるようになってくる。

 

ドーパミンも分泌されて

 

楽しくなってくる。

 

そうするともっとやりたくなってくる。

 

やっていると気づくのだ。

 

いつテストされても大丈夫だと。

 

できる子はいつテストされても大丈夫だ。

 

日々鍛えているから。

 

常に仕上がっているから。

 

実はそれが一番無駄のない学習法。

 

そういう人は例えるならば

 

穴の開いていないバケツだから。

 

 

 

 

 

ダメだと分かっていて

 

ダメな学習法から脱却できない生徒は

 

学習の舞台における負け犬だ。

 

学習をしない理由を

 

どんなに言い訳をしようが

 

それは負け犬の遠吠えだ。

 

 

 

 

 

学習の舞台では

 

やるのか、やらないのか

 

2つしか選択肢はない。

 

今日がその分かれ道だ。

 

キミはやるのか

 

それともやらないのか。

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