朝ドラ

先週でお気に入りの朝ドラが終わった。

 

今週から始まった新番組も楽しみだ。

 

 

 

朝ドラはアニメなどと同じで「ウソ」の世界だ。

 

だから、

 

「こんなことは現実の世の中ではありえない」などとは

 

考えないようにするべきだ。

 

わざわざ視聴して、

 

そこにマイナスを探すことに

 

何の意味もない。

 

 

 

 

 

 

しかし、その作られたウソの物語の中に、

 

多くの「真(まこと)」を見つけることができるのを楽しみたいし、

 

自分の好みにピッタリの作品だけを求めていても面白くない。

 

朝ドラの前作ではこんな素敵なことを見つけることができた。

 

 

 

 

一つはフォンターナという言葉とゲーテの詩。

 

フォンターナは主人公が働いていたレストランの名前。

 

イタリア語で「泉」の意味。

トレビの泉に投げられるコイン(年間約1億円)の、行方とは? | TABI LABO

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ | ブッククラブ回

汝(なんじ)の立つ処(ところ)深く掘れ、そこに必ず泉あり」から引用したとのこと。

 

主人公の結婚式のスピーチで

 

レストランのオーナーからそのことが語られた。

 

続けて、

 

「今、若い2人の目の前には明るい未来が開けています。

 

ですが、人生、山あり谷あり。

 

どうか足元を深く掘り、見つめて、

 

泉を掘り当ててください」と言葉を贈った。

 

この言葉に大いに感動した。

 

もちろん、これは受験にも通じる。

 

思うようにいかないとき

 

人はあきらめようとするし、

 

自分だけがうまくいかなくて、

 

他人を羨んだりするものだ。

 

でも、実はそこであきらめてはいけないのだ。

 

自分を信じて

 

前進し続けるのだ。

 

ゲーテだって

 

そう感じたってことは

 

古今東西そうなのだろうから

 

間違いない。

 

だから、繰り返して伝えたい。

 

「汝(なんじ)の立つ処(ところ)深く掘れ、そこに必ず泉あり」

 

あきらめてはいけない、受験生たちよ。

 

 

 

 

もう一つは、

 

沖縄のことば「まくとぅーそーけーなんくるないさ」。

 

「まくとぅ(誠)に、真面目に、くじけずにやっていれば、なんとなるよ」

 

という意味。

 

自分に偽りなく、生きることはとても難しいことだ。

 

経済優先の価値観の中では特にそうだろう。

 

でも、自分で得心できるならば、

 

どんな道を選んだって、

 

何とかなる。

 

特に今の日本ならば間違いない。

 

大事なことは、わくわくできることを

 

自分で選ぶこと。

 

これは受験においてもまったく同じだ。

 

どこの学校に行ったって、

 

しっかりとやっているならば、

 

次の道が切りひらかれていくのだから。

 

大切なのは

 

まくとぅ(誠)に、真面目に、くじけずにやっていくこと。

 

そうすれば、なんとなるものだ。

 

 

 

 

 

「吾以外皆吾師(われいがいみなわがし)

 

これは歴史小説家吉川英治の言葉だ。

 

「自分以外のものはすべて私の師である」という意味。

 

朝ドラは人生の教科書のようなものだと思う。

 

子どもたちにとっては

 

学校に行く時間だから見れないだろうけれど、

 

塾の仕事は遅寝遅起きになりがちだから、

 

何よりも早起きのリズムも作りやすくなるし

 

私にとってはいい所ばかりだと思っている。

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