学びたい意欲と教えたい意欲

江戸時代からあった教育機関として有名な寺子屋。

 

江戸時代の学習塾と呼ぶ人もいる。

 

江戸時代末期、日本全国には

 

約1万もの寺子屋があったと言われている。

 

その当時の日本の人口は約3000万人弱だったので、

 

割ってみると、人口約3000人に1つの割合で

 

寺子屋が存在した計算だ。

 

現在の日本の人口が約1億3000万人、学習塾の数が約5万。

 

江戸時代の人口と寺子屋数の割合と似ている。

 

 

 

寺子屋と学習塾には共通点もある。

 

しかし決定的な違いがある。

 

学びたいという意欲に溢れている子供と、

 

教えたいという意欲に溢れている教師が出会う場所

 

それが日本の民間教育の祖、寺子屋だったのだ。

 

麻布学園の創立者、江原素六は

 

学問に理解のない下級武士の家に育ち、

 

幼い頃は寺子屋にも通わせてもらえなかった。

 

しかし叔父が江原の才能に気づき、

 

寺子屋に連れて行かれた時には

 

「涙が出るほど嬉しかった。今でもなんとも言えぬ感に打たれる」

 

と後に回想している。

 

またある寺子屋の教師は、江原の才能に惚れ、

 

「教材も貸す。月謝も入らない。だからこの子を教えさせて欲しい」

 

と江原の父に懇願したという。

 

江原の父親に怒鳴られても引かず、ついには江原を預かることになる。

 

 

 

寺子屋の多くは、大した設備もない場所で授業をしていた。

 

ひとり一台のタブレットなどとは程遠い学習環境だ。

 

本当の意味での学びとは、

 

便利な道具と立派な場所があればできるというものではないと思う。

 

本当に大切なもの、

 

それは、学びたい意欲と教えたい意欲ではないだろうか。

 

かつての教育機関寺子屋の持っていたそれを

 

うちの塾は引き継いでいきたいなと改めて思う。

 

今週で3月通常授業も終了だ。

 

気持ち新たに春期講習をスタートしよう。

 

 

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