天王山

どんな戦いにも命運を決する岐路がある。

 

それがたとえ3分の勝負であれ、

 

受験であれ

 

人生であれ。

 

 

 

 

勝負を決する重要な局面に

 

「天王山」ということばを使うことがある。

天王山ハイキングコース|観光情報検索|京都“府”観光ガイド ~京都府観光連盟公式サイト~

京都府にある標高270メートルの山。

 

1582年に羽柴秀吉と明智光秀がここで戦ったことが由来とされる。

 

天下統一を目前にして、

 

織田信長は明智光秀の裏切りにあい、

 

京都・本能寺の変で命を落とした。

 

それを知った秀吉は、遠く中国地方にいた。

 

すぐさま交戦中の毛利氏と和睦を結び、

 

信長の敵討ちを掲げ、

 

全軍を京都へと向かわせた。

 

進軍する秀吉と、

 

京都の山崎という場所で迎え打つ光秀との戦いが

 

「山崎の戦い」

 

勝った方が信長の後継者となるこの戦い。

 

勝敗を分けたのが、

 

近くにあった「天王山」

 

秀吉か光秀か、

 

先に天王山を占拠した方が

 

圧倒的有利になるという

 

緊迫した状況で、

 

占拠したのは秀吉軍だった。

 

状況は一気に秀吉軍有利になり、

 

光秀軍を破ります。

 

こうして山崎の戦いに勝利した秀吉は、

 

天下人への道を駆け上っていった。

 

一方、光秀は落ち延びる途中、

 

落ち武者狩りの手によって命を落とした。

 

「天王山さえとれていれば…」

 

光秀は無念の涙を飲んだことだろう。

 

 

 

 

 

 

試練に真っ向から挑む中で、

 

新たな勝利の局面が切り開かれていく。

 

後から振り返ってみると

 

そこが「天王山だった」と思える局面がある。

 

でも、その時は

 

天王山と分からないし、

 

むしろ

 

あきらめたくなるような

 

厳しい局面だ。

 

でも、

 

何とか踏ん張りぬく。

 

最大の難局を最高のチャンスへと転じいく。

 

 

 

 

 

中だるみの2学期といわれることもある。

 

今一つの受験生もいるかもしれない。

 

でも、

 

行く手にどんな困難があろうとも

 

〝しりぞく心なく″あと一歩、あと一歩と、

 

気迫の前進をしたい。

 

振り返ったときに

 

「あのときこそが

 

天王山だった」といえるように。

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