ガラスと綿

いい話を聞いた。

 

あるお母さんは、反抗期の息子と衝突してばかり。

 

「うるせえな!」と息子が言えば、

 

「なに! その口の利き方は!」とやり返す毎日。

 

 

 

そのお母さんがある日、講演会に出席した。

 

壇上で講師が触れたガラスの水差しとコップがぶつかり、

 

どちらも割れてしまった。

 

すると、講師は当意即妙、

 

「水差しは”コップがふれたから割れた”と言い、

 

コップは”水差しがぶつかったのだから割れたのだ”と言うかもしれない」と。

 

しかし「これが、綿とガラスだったらどうでしょう? 決して壊れはしまい」と。

 

 

 

話を聞きながら、そのお母さんは、自分が”ガラス”だったことに気付く。

 

「子どもを変えようとするのではなく、まず大人が変わることが大切ね」と。

 

 

 

 

強さとは、相手を打ち負かそうと意地になることではない。

 

どんな縁に触れても、それに振り回されない力の異名であろう。

 

“綿”になって、ふんわりと子どもをつつみ込んであげるのこと。それが、本当の『強さ』だろう。

 

 

 

よし、綿のようにいこう。

 

ガラスじゃない、綿がいい。

コメントを残す

雑感

前の記事

書いて貼る
雑感

次の記事

トキワ壮のように